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2017.04.28

急がない通常配達

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「宅急便です!」の声に玄関へ出ると、クロネコヤマトのあんちゃんが、小さな箱を差し出す。amazonへ頼んでおいた本が到着。

 

新聞のニュースで、ヤマト運輸は、ネット通販の拡大で荷物が急増しドライバーの人手不足が深刻化し、過重労働になっていることを改善しようと、様々な方策を検討中と伝えられていて、「ヤマトさんは、大変だね」と声をかけてみる。

あんちゃんは、「上の方で騒いでいるようですね」と涼しい顔で言って、それ以上話に乗ってこないで、忙しそうに立ち去る。

 

受け取った本は、中山義秀著「テニアンの末日」(新潮文庫)で、先日の浅田次郎の講演で、優れた戦争文学として紹介されて、読でみたいと思っていたもの。

古い本なので、書店やブックオフにはなく、amazonで発見し注文。さすがなんでもそろう、通販の雄のamazonだ。昔なら神田神保町の古本屋をあちこち覗いたりしなければ、入手できなかっただろうに。

 

ネットのamazonの注文画面で、配送の方法を聞いてくる。<プライムのお得な配送オプション>で3つの中から選べる。1.通常配送 無料 2.お急ぎ便 無料 明日 お届けします 3.お届け日時指定便 無料。 

なんと便利なことやなあ~と、思いながら、クロネコヤマトのニュースを思い出す。クロネコヤマトは、‘ドライバーの負担となる再配達を減らす’、’主要取引先であるインターネット通販大手amazon「当日配送サービス」の引き受けから撤退する。人手不足の中で夜間配達が増える原因だから‘、‘基本運賃を9月に最大20%程度値上げする’を検討するそうだ。

 

注文した本は早く手元で読みたいが、注文した‘明日’に到着して欲しいほど急がない。ヤマトのあんちゃん、を急がせない、忙しくさせないで、1.通常配送 無料をクリックする。しかし配達料が無料とは、どこが負担しているのだろうか。

クロネコヤマトの検討の中に、‘明日’じゃなくていい、急がない通常配達には、料金を安くすることを入れたらどうか。

 

最近は、浅田次郎の小説にはまっている。ブックオフで浅田次郎の「終わらざる夏」上下2巻を買う。1945年8月15の終戦の後に始まった戦闘。千島列島の北のさいはての小島、占守島(シュムシュ)で、日本軍の超精鋭部隊とソ連軍が、壮絶な戦車戦を繰り広げた。戦争という大きな理不尽に巻き込まれ、懸命に生きた人びとの姿を描いたもの。

いま寝しなに読み進めていて、上巻のなかば程。だから早く届いた中山義秀著「テニアンの末日」(新潮文庫)を読むのは、もう少し先だなあ~

2017.04.25

たかが携帯の怒り

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『目の調子はいいですね』と、田宮二郎似の眼科医が、薄暗くした診察室の検査機械で両目を覗きながら言う。映画「白い巨塔」の医師役の田宮二郎とは、また古いなあ~ 

毎月一回の検診で、そういわれるとホッとして、世間話の一つもしたくなる。
「パソコンを
1時間ほどやると、目がかすんでしまう。」と言うと、田宮二郎は『目の調節機能が疲れるからね。ゲームとか検索とかかで、パソコンは、つい長くやってしまうよね』と。「ゲームなどはやらない。3日に1回ほどブログを書いているので、つい長い時間パソコンの前に座る。ありふれた日常の出来事を書いている。最近は携帯の故障で行ったNTTドコモのサービスが悪いのに、ジジイが怒り心頭となったのを書いた。もちろん営業所や店員の個人を特定できないよう、分からないよう気を配って。」と言うと、田宮二郎は『日記のように文章を書くのは脳の運動になる。こんなことを言うのは失礼だが、認知症の予防になる』と、NTTドコモのサービスのことには、無関心。

携帯(ガラケー)の液晶が壊れて、新しい携帯になるまで、
NTTドコモショップに3日も通う。
初日は、店の受付の若いあんちゃんに、1時間半待ちを告げられ、たかが携帯に、そんなに待たせるなよと、ジジイは怒る。携帯は修理不能で、補償保険で新品交換となった。携帯は家族がグループの契約になっているので、契約者の息子さんから、故障の状態などをサービス会社へ連絡してくれと。名古屋に勤めている息子に、勤務時間中は迷惑だろうからと夕刻に依頼。息子から、話しは済んだ、新しい携帯が
NTTドコモショップに届く、故障の携帯と取り代え、データの移行もしてくれると連絡が入る。
2日目に行くと、受付のお嬢さんは、息子さんからの委任状、免許証の写し、本人の身元確認(免許証)が無ければ渡せぬと。そんなことは、最初から誰からも全然聞いていないよ、息子は遠方だし、書類の取り寄せには時間がかかるし、指定されえた今日来たのだと、またもジジイの怒りの抗議。
お嬢さんは、困って電話で店の奥へ相談。でもジジイは頑固で納得せず。お嬢さんは、さらに困って奥に相談に行く。次からの携帯はAUにするぞなぞと言ったりして。お嬢さんをこれ以上困らせるのも大人げなく、(ジジイげもなくか)、責任者を出せと言いたいとこを我慢。
3日目には、またいい加減なことを言ったら、今度こそ責任者呼べと息巻いてやろうと店に入る。が、そこは書類さえ整えばすべて
OKのお役所仕事で、ようやく新品を入手。

NTTドコモショップは待ち時間が長いし、店員の説明不足の不手際、は改善の余地がある。店のサービスは、お客さま第一で、質(まともな応対のできる人)と量(待たせない応対の人員)を考えなきゃあ。しかし年間に何兆円も売り上げる巨大企業に、こんなジジイの声を聞く耳があるんだろうか。
来月の目の検診では、眼科医の田宮二郎と、世間話の一つで、この携帯の顛末でも話そうか。

 

2017.04.22

たかが携帯だけど

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『一時間半、待ちですね』NTTドコモ店の受付端末から番号札をひき、そばに立つ若いあんちゃん店員に、どのくらい待つのかを聞くと、平然とこんな答え。

え~っ、病院の診察待ちじゃああるまいし、いくらなんでも長すぎだあ~。たかが携帯(ガラケー)の故障修理(液晶画面が黒くなり電源がすぐ切れる)じゃないか。
帰ろうかと、とりあえず、あんちゃん店員に何人待ち?と聞くと、5人と言うので、新聞を読みながら待つ。

カウンターではお嬢さん店員が客の応対中。
ババの客は、メールを3人の孫に送るのだが、いつもそのうち一人だけに届かない、親しい友人とのメールでも届かない人がいる、どうしたものかと相談している。それではメール設定を調べてみますね、とお嬢さん店員は親切。
ジジの客は、スマホに代えたようだが、耳が遠いようで、お嬢さん店員は、店内に響き渡るような大声で、割引やら保障やらの契約内容や操作方法やらを説明しているのだが、一度で正しく理解できず、何回も聞きなおしている。お嬢さん店員は、同じ答えを我慢強く繰り返して、たっぷり時間をとって親切な応対。耳の遠いジジは、お嬢さん店員に怒鳴られているようなのだが、それが好みなのか、お嬢さんの名刺を呉れとせがんでいる。マゾじじい、かあ~、お前は。

新聞を読み終わり、店内TVモニターで流れる
HKT48の指原 莉乃が軽やかに踊るのをぼんやり眺めていると順番がくる。担当のあんちゃん店員は、落ち着いてゆっくりした説明で分かりやすく、修理するよりはケータイ補償サービスで新品交換を勧める。スマホを勧めてくるが、メールと通話ができればガラケーで十分で、LINEをするお友達はいない、ポケモンゲームをする気もない、ネット検索は家のPCで間に合う、とお断り。

ガラケーは新品になる予定だが、TTドコモよ、こんなに待たせるなよ。店員は、たぶん非正規社員だろう、丁寧な応対ぶりは良いのだが、堂々と当たり前のように1時間30分待ちと言わせるな。待たせない接客の人員配置を経営は考えないと。親方日の丸体質(ちと古いが、NTTは国営に近い公営企業だったので、企業が潰れることはないと顧客を軽んじること)では、他の携帯会社に負けるだろう。昔、山一證券は倒産し、記者会見の社長は、口をゆがめて号泣しながら、社員は悪くない、社長が悪いんです、と叫んでいたが、同じになりかねないよ。

ジジイが認知症になる前兆は、人の名前が出てこない、朝飯が何だったかを思い出せない、そして、なにごとにも怒りっぽくなることだと。どうも、怒りっぽいのは、認知症の前兆が出始めてきたようだ。

 

 

2017.04.19

偲ぶ会

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蕎麦屋の暖簾をくぐって店に入ると、「お酒、飲むのかい」と、中国の仙人みたいな細くて白い一本のあご髭を垂らしたじいさん店主が声をかけてくる。

潮田公園でテニスを終えて、先日亡くなったテニス仲間のK氏を偲んで、昼食に一杯やろうと、テニス仲間の4人が、おなじみの近くの蕎麦屋へ入る。

偲ぶ会とは、家族葬のように近親者だけで葬儀や火葬を済ませた後、日を改めて故人と関わりのあった人を招いてお別れを伝える場であると。
故人の親族が催すものなのだろうが、今回は親族なしで、テニス仲間が、勝手に集まって一杯やろうと言うもの。

ビールを飲みながら、おつまみ注文すると、あご髭は、「刺身はない、天ぷら、肉じゃが、モツ煮込みならあるよ」と。今日はお手伝いのおばさんが休みなので、俺一人でやっているといいながら、運んできた肉じゃがとモツ煮込みの乗ったお盆で、ビールのコップを押し倒し、テーブルは川のよう。それでも謝るわけじゃなし、今拭くから待っていてくれと涼しい顔で言うだけ。

もう一軒の近くの蕎麦屋は、
TVで一度取り上げられてから人気で、お客は店頭に並ぶが、この店は客が殺到することはない。この店主は頑固なジジイだが、蕎麦を静かにいただけるし、蕎麦と天ぷらは絶品だし、ひいきにしているので、テーブルが濡れようが、皆、黙ってビールを飲みなが思い出を話す。

「昔、仕事はコンピューターの
SEをやっていて、企業に派遣されてシステムの保守をやっていた。」でも、PCにあまり詳しくなかったなあ。
「昔からの川崎市の住民でアパート経営していて、生活には困らないよう」、「絵が趣味で、絵画教室を開いていて、生徒を教えていた。教室でいつも最後まで残って帰らないでいたのが、いまの奥さんだ」、葬儀でお会いした奥さんは、小柄で都はるみのようだった。
「なかなか嫁にいかないので心配していた長女が、昨年、急に男を連れてきた。孫が生まれて、いま
3歳、可愛い」、長女さんは言う、亡くなる前夜は、孫を抱き上げていて、いつもより増して喜んでいたと。

「高血圧、メニエール病を持っていたが、薬で治まっていて、週一回のテニスを楽しみにしていた」、テニスでは、時々フォアーの強烈なストロークを打ち込んできて、とてもボールを返せなかった。

「晩酌をして、夫婦でカラオケに行くのが楽しみ」テニス仲間の忘年会、暑気払い、など何回かやったが、日本酒党で、いくら飲んでも姿勢を崩すこともなく、きれいな飲みっぷりだった。

それぞれの思い出をお互い話すのだが、結局、K氏のことは、よくわかっていなかったんだなあ。 シメのざる蕎麦を食べた後、蕎麦屋のあご髭は、にこりともせずに、「ありがとうございました」と言いながら見送ってくれる。

 

2017.04.16

次郎は次郎でも

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近くの銭湯へ行っているときに、家からの連絡で、大佛次郎賞の受賞の知らせを聞いた。芥川賞、直木賞は候補作が分かっているので、作家は結果を待っているのだが、それ以外文学賞は、突然の知らせになる。」と作家の浅田次郎は講演で話し出す。

優れた散文作品に贈られる大佛次郎賞を、作品「帰郷」で受賞した浅田次郎の受賞記念講演会を聞きに出かける。
JR関内駅を降りて、会場の横浜開港記念館へ向かう途中、横浜スタジアムのある横浜公園の真っ盛りの赤や黄色のチューリップを見て、家人はなんて見事なチューリップだこと、と歓声をあげる。
歴史的建物の横浜
3塔の内の一つ、横浜開港記念館ジャックの塔は、レンガ造りで、天井の高い講堂は中高年で満席。並んで席に着く家人は、新田次郎さんはどんな話しをしてくれるんでしょうねというから、その人はもう亡くなったよ、次郎は次郎でも、今日は浅田次郎だよと。

最近、西太后や張作霖や、最後の皇帝溥儀、などが登場する清朝末期の中国の近現代史を描いた「蒼穹の昴」、「中原の虹」を読んで、現代に近い中国の歴史にすっぽりはまって、浅田次郎は面白いと、この講演に家人を誘った。
浅田次郎は、中国、幕末、戦争の3つを中心に作品を書いているが、今回受賞の「帰郷」は戦争をテーマにした6作の短編集。「帰郷」のタイトルは、大佛次郎が同名の小説を書いているのに敬意を表して付けたが、それがまさか大佛次郎賞とは思ってもいなかったと。

戦争を体験していない世代(
66歳)でおこがましいが、なぜ戦争を書くのかといえば、当時は国民皆兵で一般の人まで戦争に狩り出されて、兵隊として苦悩する姿に文学的な価値があると。戦争は生と死を問われるもの、あらゆるドラマが詰まっていると。政治を文学が制御することが出来るからと。
あと
20年、30年と書き続けたいと、頑丈そうな小さい体で、てかてかと輝く頭を振りながら、1時間たっぷり元気にしゃべる。戦争小説は、まだ戦争に行った人が存命で、間違いを指摘されたりする。しかし、年を重ねると臆病になるが、勇気を出して書きたい。書きたいことが山ほどあると言う。この爺さん、きっと長生きしそうなバイタリティーにあふれている。

夕日を背後から浴びて黒くたたずむ横浜開港記念館を後にして、近くのサンドイッチハウス・リヨンで、コーヒー・ケーキを美味しくいただく。銀製のコーヒーポットに入ったコーヒーは、高級ホテルのコーヒーのように味わい深かった。

 

 

2017.04.13

立川流に不穏な動き

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高座へ出てきた立川生志は、懐から週刊新潮を取り出し、こんな記事が載っていると話し出す。
横浜にぎわい座、4月の立川生志落語会(ひとりブタじゃん)へ家人と行く。客席は8分の入り。週刊誌の見出しは<落語‘立川流’にお家騒動? 談志逝って
6年>と。

『今年は七回忌ということになるわけだが、ここへきて立川談志の一門に不穏な空気が流れているという。弟子
4人(志の輔、談春、生志、雲水)による『傳志会(でんしかい)』という新しい落語会が331日に開催されたることになり、チケットは数分で売り切れる人気。
このうちの
3人が国立演芸場で毎年5月末に開催される一門会『立川流落語会』に出ないとわかった。ネットでもお家騒動、なんて騒がれたほど。一門会に出ないのは志の輔、談春、生志の3人。立川流きっての売れっ子たちである。家元の芸を伝承していく決意にも読み取れる「傳志会」を立ち上げながら、一門会に出ないとは? 
一門会は毎年
5月末の週末が恒例だ。空けておくことも出来るはず。‘一門会の仕切りに嫌気がさしてきたと聞きます’(事情通)‘家元制度も今はないし、師匠自身が亡き後は勝手にしろ!といってましたから。みんな一人でやっていけるように育てられている。落語立川流は法人化を狙うわけでもないし、緩~く一緒にいるだけ’(事情通)』

これに生志はコメント。『出演スケジュールは入ってきた順に埋めていくので、たまたま一門会に出ないだけ。談志が生きているときは、弟子から師匠に月謝(上納金)を納めていたが、今はそれもなく各人が独立して活動している。だから不穏な動きでも何でもないと』

週刊新潮を背後におきながら、「寝床」と「百年目」の2席を聞かせる。
「寝床」義太夫好き大家の旦那が、嫌がる店の手代や長屋の店子へ義太夫を聞かせようとする。何故か丁稚の定吉だけ一人が泣いているは、義太夫に感動してなのか。
「百年目」大店の番頭は、奉公人に口やかましい。夜遊んでこようものなら、小言の嵐。ある日、番頭は隅田川の花見で泥酔、ばったり大旦那に会ってしまう。首だとびくびくしていたが、日頃の真面目な仕事ぶりに、逆に暖簾分けまでしてくれると。

生志は、相変わらずたっぷり時間をとって、古典をじっくりと聞かせる。週刊誌に「~一門会に出ないのは志の輔、談春、生志の
3人。立川流きっての売れっ子たちである。~」と書かれているのを、俺はそんな売れっ子じゃないよというように、恥ずかしそうに、照れくさそうに紹介していた。たしかに志の輔、談春はTVに良く出ていて、独演会もチケットはすぐ売り切れの人気者。

いいのだよ、生志、高座でじっくり聞かせる芸を磨けば、本当の客はついてくるよ。また次回の6月に聞きに来るよ。

2017.04.10

桜のときに

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<入り江川せせらぎ緑道>

横浜の桜は、ここ2日ほどの冷たい雨にも負けず満開。

東京都庁の新入社員は、2000人が入社式ならぬ、入都式に臨んだと。
都庁裏の西新宿公園の桜を、どんな気持ちで、新人は眺めたのだろうか。2000人の大量採用とは、都庁はなんと盛大なことだよなあと、また多くの若者が、都庁を志願するんだなあと、都庁は沈まない巨大軍艦のようだなあと思う。

大学を出て就職先は、単純に京都の町が好きだからと、京都にある小さなメーカーを選ぶ。4月の入社式には、採用された100人が京都本社に集まる。当時、中小企業にとっては大量採用だったが、高度成長の始まりで、経営者は思いきったのだろう。
東京採用組の10人は熊野神社の側の旅館が宿で、そこから入社式、研修に通った。熊野神社に桜が咲いていたのだろうが、のんきで、だらだらした学生から、終日働くことに慣れるのに必死で、花をめでる余裕など皆無。
寒い冬から、ようやっと暖かくなって、桜が咲いて、なにか良いことが起こるかもしれないという、胸のときめきは、なかった。

西行法師は、『願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃』(願いがかなうなら、桜の下で、如月<2月>の望月<満月>に時にしにたいものだ)と詠んだが、それほど桜が綺麗だったんだろうか。

桜に、いまや胸のときめきはないが、咲いているだろうかと、近所の4か所を徘徊する老人となってみる。1.入江川せせらぎ緑道。生活排水の汚いドブを地下に埋めて人工の川としたものだが、いまは、住宅の間の自然の遊歩道で、スーパーへ行くのも散歩にも、最適。

 


Img_0157 2.三ツ池公園。週一の仲間とのテニスコートがある。逝ってしまったテニスの世話役との花見の約束が果たせなかった。

 

Img_0167 3.豪邸。テニススクールで知り合ったおじさんの庭は広く、桜の木がいっぱい。お友達になって、豪邸に招かれお酒でも飲みながら桜を観たいと思っていたが、親しくなれず、残念。

Img_0138_2 4.総持寺。本堂の地下の広大な講和室で結婚式を挙げた。仏式の結婚式は、はやらず、いまは、つぶれて営業していない。

先日亡くなった詩人の大岡信は、西行法師の『願はくは花のもとにて~』を解説している。「~「如月の望月のころ」は二月十五日(満月)をいう。太陽暦では三月末に当たる。西行の熱愛した桜の花盛りの時期に当たるが、また釈迦入滅の日でもある。出家の身として、とりわけその日に死にたいという願いをこめた歌だが、驚いたことに、彼は願った通り、河内の弘川寺で、建久元年二月十六日に没した。」と。

散り始めた桜を眺めながら、西行法師のように、桜のときに、死にたいとは少しも思わないなあ。

 

2017.04.07

寝しなの春樹ワールド

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いつも本を読むのは、ベッドに入って、枕元の蛍光スタンドの明かりで、眠気が来るまで、を習慣にしている。いつも亡母は布団に入る前に、滋養によいという赤葡萄酒を小さなグラスで飲んで、気持ちよさそうに寝息を立てていた。

村上春樹の「騎士団長殺し」は、2月の発売直後から毎日、亡母が赤葡萄酒を飲むように、ちびちびと少しずつ読み進めていて、この4月に読み終わる。
主人公36歳 美大を出て抽象画家を志すが生活のため肖像画を描く。3歳下の妻‘ゆず’から、好きな人が出来たから別れてくれ言われる。家を出て一人で車に乗り東北、北海道を1か月ほどかけて廻り、いまは、友人の父親で、老衰で伊豆の施設に入っている有名な日本画家の家を借りる。

小田原の少し海が見える高台の一軒家に一人で住む。その屋根裏に隠されていた日本画家の「騎士団長殺し」の包み開けたところから、奇妙な出来事が始まる。
絵の中から抜け出た60㎝程の小さな、古代人の衣装を身に付けた騎士団長が現れること、家の裏手の雑木林にある祠の穴を掘りだすことから、主人公は現実と架空の世界を行き来して物語は進む。

騎士団長という怪物、人が這いあがれない3㍍ほどの穴、の登場で、いよいよ村上春樹ワールドが始まったなあと期待させる。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では、怪物‘やみくろ’のいる地下を抜けて行く。『ねじまき鳥クロニクル』では、‘井戸’に閉じ込められる、だったなあ。

村上春樹ワールドに出てくるいつもの定番は、音楽。主人公がリビングで聞く日本画家か残したレコード。オーストリアのリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」、ベートーベン第7。ウイーンにいた日本画家がナチスのオーストリア併合に抵抗して、好ましくない外人として日本へ追放され、恋人と別れた失意のなか帰国した様子が浮かび上がる。

そして今回は、車が村上春樹ワールドへ誘っている。主人公が東北、北海道を廻るのは、プジョー205で、途中で壊れてカローラ・ワゴンに買い替える。東北太平洋岸で会う不気味な男の乗るスバル・フォレスタ。主人公の向いの山の上に一人住む54才の白髪の男は、望遠鏡で、昔付き合っていた恋人の子は自分の娘ではないかと、高台の向いの家をのぞき見している。持っている車はジャガー4台。覗かれた家の女性が乗ってくるのがプリウス。

主人公は8か月後に小田原を後にして、子供を産んだ妻‘ゆず’のもとに帰って、‘室’という子供を保育園へ連れていく日常が始まる。しかし‘室’が自分の子供であるかは分からない。そして「この世界には確かなことなんて何ひとつないかもしれない。でも少なくとも何かを信じることはできる」と。

寝しなの読書の欠点は、眠気に襲われると重い単行本が手から、するりと床に落ちて、ダーンという音で我に返ること。いつもは軽い文庫本が寝しなの友だが、村上春樹の新刊の単行本は重くても必ず買うことにしている。次作が待たれる。

 

2017.04.04

芋けんぴ

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晩御飯を食べた後には、TVを見ながら甘いデザートが必須で、桜餅、柏餅、大福などをいただくのが楽しみ。

家人は甘いもののとりすぎは良くないと言いながら、買い物帰りには、いつも甘いものを買ってきて、一緒に食べる。食後のデザートでケーキをいただくのは、誕生日や何かの記念日などのハレの日の贅沢で、めったにないこと。
しかし、甘いザッハトル
テ(オーストリアの代表的な菓子<トルテ>でチョコレートケーキの王様)など、たまには食べたいもの。

いま読んでいる村上春樹の「騎士団長殺し」には、主人公が幻の地底の暗黒のトンネルをおびえながら歩いていて、トンネルの狭さと暗さのことを考えないようにオーストリア(第二次大戦でナチスドイツに併合された)のウイーンの街を思い浮かべる場面がある。
街は「ウインナ・ワルツ、甘いザッハトル
テ、建物の屋根に翻る赤と黒のハーケンクロイツ(カギ十字)」と。

いまデザートで凝っているのは「芋けんぴ」。高知県の郷土菓子という。サツマイモを揚げ、砂糖をからめたもので、袋からつまみ出して口へ入れるとポリポリと歯ごたえよく、シンプルな甘さで、とめどもなく食べてしまう。家人は糖尿病を心配する。
ジジになると、身体のあちこちの少しの変化が気になって、なにか病気じゃないかと。鼻水、咳は、風邪から肺炎じゃないか、脚先のしびれは、糖尿病か、便秘は、直腸、大腸がんじゃないか。

日本文学者のドナルド・キーン(94歳)は、6年前の東日本大震災後、多くの外国人が日本を離れたと知って、逆に日本へ来て「私は日本に行き、ずっといる。日本を信じます」と日本国籍を取得し、永住権も取得して、東京の北区西ケ原の旧古河庭園が望めるマンションに一人住む。ドナルド・キーンは、食後の甘いデザートが大好きだと。

5月の連休明けには、2か月ごとの検診で血糖値の血液検査がある。節制に努めることなど少しも考えずに、芋けんぴをぼりぼりとかじる。

 

2017.04.01

テニスコートの誓い

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7人のテニス仲間の一人の世話役が急死してから、初めてのテニスを、横浜・入船公園テニス・コートでやる。

朝から寒く鉛色の空から今にも雨が落ちてきそう。ジジ・ババの6人はコート上で、まず故人を偲び合い、今後の運営や世話役をどうするかを話し合う。
「亡くなった世話役の娘さんからは、‘父は皆とのテニスを楽しみにしていた。皆さまが今までどおりテニスを続けられることが、父の望み’と言われた。だから続けよう」、
「残った6名が、故人の分まで、楽しまなくちゃあ」、「年の順から逝くのが、おおよその世の常。これからの世話役は、一番若いジジの
Aさんにお願い」、
「入船公園や潮田公園のテニスに行くのが膝や腰が痛くて、テニスのメンバーから脱退したい」、「リタイアした人に、心当たりがあるので、加わっていただけるようコンタクトしてみる」
テニスコートの誓い、結論は、「若い新しい世話役のもとに、欠員を補充しながら7名程度で、継続していこう」だ。

なにやら19世紀(1789年)フランス革命での‘テニスコートの誓い’が思い出される。
当時のフランス王国は度重なる戦争と飢饉で財政が破綻していた。国王ルイ16世は、第一身分(僧侶)第二身分(貴族)と第三身分(平民)とでなる国民会議で新しく課税制度を導入しようとするが、国王の弟の反対で、国民会議が閉鎖される。
6月19日、議場から閉め出された国民議会は、第三身分議員の集まりこそが国民を代表しているとして、ヴェルサイユ宮殿のテニスコート(球戯場)を新たな議場として、国民による国会の開設、や王様を法のもとに置く憲法の制定を要求。7月14日のフランス革命のきっかけとなったと。

入船公園でのテニスコートの誓いとは、内容は、なーんの関連性もないが、まあ、みなと話し合えたことは、似ているかなあ。さあー、これからも週一のテニスを楽しみに出かけよう。夕方になると毎日欠かさず庭でやるラケットの素振りで、ジジ・ババをガツンとやっける力を付けちゃおう。

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